Click-a-法話(9): 「ほたる」 ・・・ホータルこい・・


子供の頃、夏になると本堂裏の茂みでも「ほたる」がみられた。水田の周りの水辺では、「ほたる」があちこちで見られたものだった。心に残るあのぼんやりとしたほのかなあかりは、ふるさとの温かみと懐かしさそのものである。いまでは、田舎でも悲しいかな、自然のホタルは全く見られなくなってしまった。

水田に水が引かれ、田植えの時節となると、幸い今でも無数のかえるの大合唱が毎晩聞こえてくる。暗闇の向こうから蛙の声がし始めると、ほっとする。強い農薬の使用で、蛙の声すら聞こえなくなった年も何年かあった。秋には、殆ど赤とんぼは見られないが、車とんぼは復活して沢山見られる。しかし、ヘリコプターで散布する殺虫剤によって、農村の虫達は一網打尽に抹殺され、夏の夜も外灯に群がる蛾や虫の数が激減してしまった。不気味でさえある。ひどく恐ろしくもある。

環境破壊が指摘され、世界の識者が警告を発するよになって久しいけれど、大気汚染は一向に改善されず、地球規模での汚染には改善の兆しがまったくない。二酸化炭素による温室効果(地球温暖化)・フロンガスによるオゾン層破壊・酸性雨による森林破壊・科学薬品による水源汚染・などなどと枚挙に暇が無い。

進歩とか工業化とか近代化の名の下に、人間の御都合で、自然環境を汚染し破壊して来た。私達一人一人が、直接間接汚染にこの破壊に関わっているびである。この消費経済社会に住む我々全員がこのドラマの役者なのである。

近代工業は私達の生活をたしかに便利にし、人類の繁栄をもたらした。しかし、汚染と自然破壊の現実を前に、この人類の犯罪にようやく気付きはじめ、それが地球存亡の危機として認識されるようになったのである。

人間は、人間の利益のみの追求にあけくれ、他の生物の事などは全く無視してきた。宇宙時代に入り、よやく人間は「この地球自体が生きた生命体」であると気付いたのである。山・川・植物・動物・空気・水・その他一切が「生命」であった。したがって、自然環境の破壊は、我々自身の破壊であった。

佛教は、「一切衆生悉有佛性」の立場であり、あらゆる存在にほとけのタネが内在すると考えて来た。人間だけが、他よりすぐれた存在と考えるのではなく、人間も他の存在と同じく全宇宙の一つの構成要素と考えて来たのである。人間が自然を支配するのではなく、人間は自然のおかげで生かされているのである。自然に抱かれているのである。自然が私達に命の恵みを下さっているのである。人間の「おごり」によって、人間は自然を支配出きるかの如く誤った錯覚をしてしまった。

自然保護のを声高に主張するのも結構だが、その前に人間はこの世界のあらゆる生きとし生けるものに心から感謝する事がなければならない。自然に対する態度を改め、自然を敬い自然と共に調和して生きる道を学ばねばならない。我々の日々の生活の中で、それが如何に些細なことであろうとも、自然を大切にする事を学び実践すれば、それが人類の未来に反映されるはずである。私達は、いつも自然と一身同体である事を忘れてはならない。そして自然に手を合わせる事が原点である。

ふるさとの山川に、ホタルが舞い、赤とんぼが帰ってくることは、夢のまた夢であろうか・・・・・ ホーホーほーたるこい・・・・

南無阿弥陀佛


© Eikyoji、2002