Click-a-法話(6):「絶対中道」
毎年春と秋の2回お彼岸がやってくる。春分と秋分の日をお彼岸の中日として、全国のお寺では彼岸会が営まれ、お盆同様に、それぞれが御先祖の墓所に参拝する伝統となっている。先祖供養は仏教徒の大切な慣習とでも言うべきものである。しかし、お彼岸には、重要な宗教的意味が込められていることも忘れてはならない。
春分・秋分の日には、昼と夜の長さが同じとなる事に併せて、この時期には季候も暑からず寒からずとなる事から、仏教ではそれを「中道」の象徴として考えるようになったのであった。
「中道」の教えは、さとりの実践道であり、苦・楽の極端を離れる生活の道である。琴の弦が強く張りすぎていても、逆にゆるすぎても、良い音色が出ない。強過ぎず弱過ぎず、ほどほどの張り具合が求められる。微妙な調整によって、完璧な音色が奏でられるのである。
政治の世界などでは、中道と言うと意見の対立する右と左の妥協を意味すると考えるが、それは仏教の中道の意味するところではない。仏教の「中道」とは、真実のさとりの実践道であり、それは、左の始点も右の始点も設定せずに各々が発見せねばならない本当の中道である。右も左も無いところでの真中の道であるから、それは絶対真実の中道と言える。
人間の弱さは、人をふらふらと右へ左へと誘惑する。自己の責任を回避して声高な意見に迎合するケースは世間でよくある事である。主体性を持って、孤独でも真実の道を歩むことなどはなかなか困難な事である。
仏教の中道の生活は、内なる真実の声に正直に素直に耳傾ける事から始まる。自分自信が、何で?何処に?何故?存在しているかをおのれに正直に問いかけるならば、中道が見えてくる。
このお彼岸の時期に、いまいちど、極端に迷い込みがちな自己の生活を内省して、微調整をしながら、軌道修正しつつ、少しでも中道に近いところを歩まさせていただきたいものである。
合 掌
© Eikyoji Buddhist Temple, 2002