Click-a-法話(5): 「正義とは?」
正義とは何であろうか?犯罪や戦争に直面するたびに、人間社会は、「正義」をなすために?様々な方策でそれに対応し行動して来た。しかし、本当の正義とはいったい何であって、仏教では何を正義と考えるのであろうか?
テロの被害を受けた国家が、正義と信じて、様々な手段で報復し、犯人を捕らまえるなどして、テロ組織の撲滅に努める事は、国家としては当然の行為であろう。国家間の立場の違い、イデオロギーの違い、民族の違い、文化宗教の違いによって、正義はそれぞれであり、それぞれの言い分がある。また、犯罪者に対しては、その罪に相応の刑罰を与えるのが、法治国家のやり方である。懲役刑や死刑によって、被害者への真の償いや社会的正義がなされるかどうかは、論議の分かれるところではある。しかし、仏陀のサンガ(教団)にも、戒律というルールがあるのも事実である。
人間行為の道徳とか倫理的基盤について、仏教は一貫して明白である。それは因果縁起の法であり、原因が必ず例外無く何らかの結果に至るとの考えである。因果の理(法則)が仏教的視点の根本にある。人間の行為(因)は、必ずそれ相応の結果をもららすとの教えである。因は必ず果を生むのである。仏陀は、「偶然論」つまりこの世の一切事象が偶然に生起すると主張する考えを拒否された。同じく、「宿命論」つまり人生の全てが運命として定められているとの考えも否定された。さらに、仏陀は、絶対神によってこの世の一切が支配されているとの信ずる「尊祐論」をも拒否されたのである。そのうえで、仏陀は因果縁起の法を説かれたのである。一切が縁起つまり直接間接の要因に依って生起していると教えられた。
勝者も敗者も、犯罪者もそれを処罰する国家社会も、それぞれの行為によってつくられた業(因)の報いを受けねばならない。個人であれ国家であれ、自らの行ないの果は、受けねばならない。因果応報のルールは万人に共通の普遍的真実である。因果の関係は、網の目の如く複雑であり、凡夫にとっては極めて不可思議である。因果関係の時間と空間の特定を急ぎ答を性急に求める人間にとっては、因果のルールについて懐疑的になりがちであるが、因果の法則は確実にはたらいているのである。
人間と社会と国家は、それぞれに必要な正義を希求し、正義をなさんと努めるであろう。しかし、人間の行う「正義」は、究極の正義にはなりえない。真の正義は、因果応報の真理によってのみ必ず実現するものである。悠久の時間と空間の中で、梵天の網の目の如く、人間を含む全ての存在が無数の糸で結びついており、一々の個が一切と相互に引き合い影響しあって存在すると考える世界観からは、因果の正義は疑いもない事実であった。因果の正義を信じて、迷わず日々黙々と精進させていただきたいものである。
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