27)「さくら」 

春になると、日本が桜の国だと思い知らされる。全国各地に、桜の名所が数多くあり、サクラが日本中に沢山みられる事に気づかされる。ほんの僅かの期間に咲くさくらは、上品であり、優しく、満開のサクラは豪華で見事ではあるが、個々の花は極めて控え目である。さっと開花して、さっと散り去って行く姿は見事でもある。花は散るから美しい。

花見に繰り出す人の中には、「花より飲み食い」の者も多いが、静かに「花をめでる」人も多い。

明治時代に日本から寄贈された数千本の「ワシントンのサクラ」も毎年3月には多くの人々に愛されている。永教寺境内の数本の桜の開花は例年だと5月上旬であるが、リノ仏教会の歩道沿いに植えた8本の枝垂れ桜は、今年が植樹して3回目の春を迎え、3月末に開花が始まり、4月上旬には見事な花姿をみせてくれた。

さくらの花はその短命なるが故に美しい。人は、無意識に自己の姿を桜に投影してさくらをながめ、花見をしているのであろうか。すぐに散って行くと解っているからこそ、今を咲く満開の桜のみごとさに感銘し、心打たれる。あっというまに散るという事をどこかで認識しているからこそ、満開の桜を惚れ惚れと花をめでるのであろう。

人は、明日もまたサクラが今日と変わりなく咲き誇っていると期待をし願いもするが、その確約はない。夜半の嵐に吹き散らされてしまう可能性の方が大である。しかし、人間はいつも「明日も同じようにある」と思いこんで、うかうかと日々を重ね年輪をかさねて生きている。しかし多くの場合、人の命も予想以上に短くはかないものであり、突然にやってくる。期待する明日はもう無いかもしれない。そのように覚悟して今日を生きるならば、人生の右優先順序が見えてくる。

もしも明日が無くとも、悔いの残らない人生観(後生の一大事)が獲得出来ているかどうかが問題である。信心とか信仰とは、人生観の落としどころである。

貴方は、明日が無くとも大丈夫であろうか?

サクラの姿に、私にいただいた「今日」を感謝と共に懸命に生きよと事を教えられる。

合掌