「知らぬがほとけ」
期待と不安が交錯する中に、新年となった。今年はどんな年になるのであろうか、平穏であって欲しいと願うばかりである。小林一茶の句に、「魚どもは、桶とはしらで、夕涼み」とあるが、これは彼が青年時代の多くを過ごした江戸の下町での情景を詠んだものであろうか。路地の勝手口に、きれいな水をはった桶が置いてあり、その中を魚たちが気持ちよさそうにスイスイ泳いでいるのである。もうすぐに、魚たちはまな板に乗せられて料理されてしまう事も知らずに涼しそうに泳ぎ廻っている。”あわれと言うもなかなか愚かなり”、との言葉が思い出される。
無智な人もこの魚たちと全く同じで、目先の損得とか快楽とか都合に心を奪われて日々生きているが、よくよく考えてみると、人間の人生も限られた桶の中に居るようなもので、”明日をも知れず”と言う事実に気がつかず、人生の一大事を考えずに過ごしているのではなかろうか?知らぬがほとけで過ごすのも人生であろうが、この短い貴重な命を自覚すれば、人生のプライオリテイが明確になってこよう。マイナーな人生のたわごとに心煩わせる事なく、この命が終わる最後のその時に、納得して往生して行けるような人生観(信仰)を急ぎ獲得しておかねばならないはずであるが、大多数の人間はなかなかその自覚にたどり着く前に、一生を終えてしまう。
「後生の一大事を心にかけて、念仏申すべきなり」と教えられているのに、桶の中の自分に気も付かずにうかうかと年輪を重ねる人が如何に多い事であろうか。それは「知らぬがホトケ」ではなく「知らぬは無智」と言う事であろうか。