法話(22)「王舎城の悲劇」 絶望から救済へ


浄土真宗では、八万四千とも言われる多数のお経の中から、特に三つの教典を選んで大切にしております。
大無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の三部の教典です。その中の観無量寿経には、王舎城の悲劇と言われる物語が書かれてあります。
これは、王舎城の王子アジャセが、早く王位につかんと、父親のビンバシャラ王を、石牢に幽閉してしまう話である。母親のイダイケ妃は
夫である牢獄の王に密かに食物を運ぶのであるが、それを知ったアジャセは、父母を殺害せんとするが、忠臣のいさめによりかろうじて
思いとどまるのであった。しかし、王子は、その母までも幽閉してしまったのである。この親子の骨肉の争いの物語が、王舎の悲劇と言われて
いる。王と同様に幽閉されてしまった母親である王妃は、「自分が何故こんな親不孝な悪い息子を産んでしまったのか」を一心に仏様に訴える
のであった。悲嘆にくれるイダイケ妃の姿を遙か静かに御覧になった仏様は、「憂い・悲しみ・穢れ」のないほとけの世界を彼女にお見せになり
その「浄らかな世界へ往く道」を説き聞かせられたのです。かくして、悲嘆と絶望の中から、王も王妃も共に阿弥陀仏の浄土へ往く信心を獲得
して救われて行くのであった。
悲嘆にくれる暗黒の中に、救いの光明を見いだす事が出来たのである。どうしようもない人間の世の現実の中で、絶望と悲しみの極限に圧倒され
ながらも、ただ一心一向に阿弥陀仏を信ずる所から救済の世界が開けるのである。きれい事の解決策では、真の救いは見つかりません。
どうしようもない程どろどろと醜く穢れでいる極悪世界の現実の中から逃げ出せずそこで生きなければならないのが「現実の人間の姿」であります。
王舎城の悲劇は、この世に満ちている人間の悲劇であります。その絶望的暗闇の現実の中で、どうして光明が発見出来たのか?ほとけ様からいただく
信心が生きるちからとなり救いとなるのです。

必死に信じて一心一向に称名念仏する道を歩きましょう。  

合 掌  南無阿弥陀佛