Click-a-法話(19): 2004年 「新年」 おらがはる
「めでたさも、ちゅうくらいなり、おらが春」 小林一茶 (1763-1827)
悲喜こもごもの思いと共に、佛紀2489年、西暦2004年、平成16年、永教寺開基104年、リノ佛教会11年、サル年を迎えさせていただいた。昨年を振返ってみると、とても願い通り期待通りの年とはならなかった現実を思い知らされるが、新年の幕開けに臨み、ともかくもまた心を新たにさせていだだく事である。
表面的に眺めていれば、この社会は平穏で満ち足りているかに見えるが、昨年も従前に違わず、多くの国際的政治や経済や社会問題の荒波に襲われ、決して安穏として過ごせた年ではではなかった。この情報社会にあっては、あらゆるニュースとその波紋は、瞬時にしてロンドン・ニューヨーク・東京と地球を駆け巡り、もはや人は社会的にも文化的にも政治的にも経済的にも、世界から孤立し隔離されて生活する事は不可能となった。
そんな小さくなる世界状況の中で、「個々の人間」はいったいどうなっているかのであろうか?世界が縮小して相互依存が避けられない現実とは逆に、人間の心はまだまだ閉鎖的であり、おのれの「我」の領域を守るべく極めて排他的であるように見うけられる。本当の国際化は、まだまだ遠い地平線の向こうにあるように思われる。
佛教2500年の基本的態度は、いつも共存と同化の知恵の実践であった。佛教の知慧は慈悲の心を持って、相手と対立するのではなく共に共存しようとするところにあった。人類は残念ながら、幾度となく戦争と破壊のあやまちを繰り返してきたのである。しかし、現代世界はもはや、自分だけや自国だけの利益をかんがえれは済むというような世界ではなくなってしまった。このような21世紀にあってこそ佛教の共存と共栄の慈悲の思想が必須となっているのである。
具体例をあげれば、佛教の歴史の中で、日本の土着の神道と外来の佛教との関わりは、抗争・対立ではなく、二者が調和し共存・共栄して来た事実がある。大乗佛教の慈悲と寛容の知恵の思想が、二つの異なる宗教の同化共存を可能にしたのであたった。ともすると、現代社会は、性急に対決と排他に走りがちなところがあるが、全ての衆生に対する慈悲と知恵の寛容同化の思想が、人類存亡のために欠かせないものとなって来たと言えよう。それは決しておおげさな主張ではなかろうと思われる。世界の人々が佛教的寛容の知慧に学ぶ機は熟している。
© 2004、Eikyoji