Click-a-法話(16): 「ふるさと探しのお盆」
「私は誰なのだろうか?」「何処から来たのであろうか?」そして、「いったい何処へ行くのであろうか?」
人間はずっとこの事を問い続けて来たのである。人間は科学的答えや、考古学的答え、そして生物学的答等を見つけようと問い続けて来たのである。また他方では、宗教的な見地に立つ答えを信ずる人々もある。様々なやり方で答えを模索し続けて来た人間であるが、今なお同様にその事を問い続けているのである。人間自身が、おのれの真実の姿を知る事なしには、内なる本当の満足を得ることは出来ないからである。
7月お盆の地方もあるが、殆どの地域では8月がお盆となっている。この時期は夏休みとも重なり、東京等の大都市からは、民族の大移動の如く、人々が田舎の故郷を目指すのである。日本の全人口の70~80%が、それぞれの御先祖の眠るお墓やお寺へお盆のお参りをするのである。これは単なる日本の先祖崇拝の慣習以上の意味があり、これは日本人の無意識的自己存在のルーツ確認の旅であると思われる。おのれのルーツの再確認を通して、誰もがそこにある種の安らぎと満足を感じているのである。その意味で「お盆」は、単なる先祖を敬う習俗ではなく、深い宗教的意味合いを持っている。
御先祖のお墓参りをする事で、日本人は自己のルーツを最も具体的なかたちで繰り返し確認して来たのである。過去を振返る事は、単なるノスタルジアや過去への追慕に止まらず、それは「自己の存在」を理解しようとする意識的・無意識的な願望に関わっている。またそれは、「自分はやがて何処へ行くのであろうか?」との問い掛けでもある。先祖の眠る場所は、単なる過去の事項ではなく、やがては自分も同じ場所で先祖に加わるであろうと言う事を誰もが知っている。その意味では、お盆のお墓参りの伝統は、「自分は誰であろうか?」「何処から来たのあろうか?」「何処へ行くのであろうか?」と言う人間の果てしなき問い掛けを象徴する行事ではなかろうか。
人生の旅路の果てに、帰るべき「心のふるさと」を持っているだろうか?御先祖の眠る故郷の菩提寺や墓地霊園は、この世の物理的・地理的ふるさとに過ぎない。それぞれにいただいた寿命を終えて帰還させていただく究極の「ふるさと」が「お浄土」(超越的異次元の世界)であり、そのような本物のふるさとを持つ人には、真の安心がある。
お盆は、日本人にとって、ふるさと探しの旅のひとこまであろうか?
©2003、Eikyoji