Click-a-法話(13):  2003年 新年の言葉


「元日や冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」

永教寺2世諦恵住職の元旦の法話は、毎年この一休禅師の元旦の句で始まったと記憶している。誰もが知っている俳句である。子供の頃の記憶であるが、5個か6個の火鉢しかない寒い広い本堂で、未だ暗闇の新年早朝、多数の参詣があり、一休さんのこの句を冒頭に法話をされていた事がなつかしく思い出される。

元旦を迎え、年月の流れの速さに驚き、今年もまたそれぞれに年輪を重ねるにつけても、いつの間にこの年齢になってしまったのかとの思いを持たれる方も多いことと思われる。中年を過ぎれば、「今年は何歳になるか?」などとやぼな質問をするのもされるのも、いやな心境である。

元旦には、今年も無事に新年を迎えさせていただいたとの喜びがあり、おのれの長い人生の道程を振返ってみると実に不思議な種々の御縁に導かれて今日まで歩まさせていただいた事が思われ、感謝の気持ちと共に、人生まだまだとの将来への希望と願望、様々な思いもあり、お正月はたしかに「めでたいこと」ではある。しかしまた一つ年を重ねると言う事は、冥土への旅が刻々とその終わりに近づいている事を意味する。まさに、めでたくもあり、めでたくもなし!というのが元旦の人生の真実である。

人は、「明日をも知れず」の人生を生きている事を頭では理解しているが、なかなか「はら」でその事実がわかっていない。まだまだと漠然と思っているうちに、人の一生はあっという間に終わってしまうのである。予定より早く自分の番が来る現実を肝に銘じておかねばならないのだが、凡人はいつまでもその事に真剣に対面せず、人生の優先順序を誤って生きている。

明日目覚めなくとも、「人生に悔い無し!」との確信を持って毎日を生きている人は少ない。人生の一大事(生と死)の問題を解決せずに世間の雑事にまぎれて過ごしている。明日が無くとも悔い無しの今日をフルに生きねばならない。明日がまだまだあると妄信する人間と、僅かの人生しかないと人の真実を認識する人間では、その生き方がおのずと異なるのである。

元日にこそ、おのれが人生のプライオリテイー(優先順序)を間違わずに毎日を生きているであろうかと問いたださねばならない。めでたくもあり、めでたくもなし、の原点の再認識である。


© Eikyoji、2002