Click-a-法話(12): 無常の現実 「不確実なる人生」
「止まる事ない世の姿」
秋から冬へと季節が移り行く流れの中に、ひとは人生を感ずる。萠いずる新芽と若葉に、幼少期を連想し、夏の暑さの中にまた活力満ちた青年期を感じ、紅葉の秋に円熟期の落ち着きを実感し、厳しい冬には人生の老境と死期を感じさせられる。
佛教では常に「人生は苦なり」と教えられて来た。種々なる人生の「苦」があるが、先ず人生が瞬時も止まる事なく変化の連続であると言う事である。永続性とか安定とか安心を願うのは人間の常であるが、人生の現実は人の願いとは逆で、常に変化し止まることがなく、それゆえに人間は絶えず苦しみを味わう事となる。
人は、家業・会社・仕事・家庭とそれぞれに「成功」したいと願って努力するが、それは果てしなく続く歩みであり、終わりがない。一つが終わると、次ぎがある。仕事の分野である程度の結果が出せた頃には、もう退職が待っている。長年働いて多少の貯蓄が出来る頃には、肉体が衰えて美味の飲食もままならず、老境の肉体には、華美な衣装も不似合いとなってしまう。子供達を育て上げた頃には、父母を亡くしたり配偶者を失う状況となる。實に悲しいのが人の世の姿である。
頂上をきわめると、下りは迅速である。肉体的衰えのみならず、精神的衰え、肉親との離別があり、社会的には、定年退職があり、人生の寂しい末路を紛わすために、様々な逃避に走る者も多い。逃避によっては救われない。
「人生苦なり」とは、悲観論や逃避主義でもなく、現実論なのである。人間である限り、苦しみの現実からは逃れることは出来ない。この止まる事ない、有為転変の姿こそが、大宇宙の真理であり、人はその中に身を委ねるしかない。
その真如に身を委ね、人生の夕暮れに山を下り厳しい老境の冬に直面するとき、真実の「信心」に目覚める人には、時間と空間を超越した異次元の世界・・・・平穏と静寂の「清らかな世界(お浄土)」が約束されている。
頂上を極め、山を下り絶望の谷底に立つ時、絶対なる信力により遥か彼方に阿弥陀佛の理想の世界が見出されることとなる。
合 掌
İEikyoji, 2002