南米ブラジルから、早川正雄夫妻が4度目の帰郷をされ、永教寺へ参拝された。奥様は3歳で渡伯されたブラジル育ちで、正雄氏は多度志出身。多度志には

姪の明瀬栄子(旧姓早川)さんが、今も早川家の御仏壇を護っておられる。幼少から青年期までを過ごされたふるさとで、なつかしい方々とも再会し、充実の

時間を過ごされた。住職とも昔話からブラジルの近況まであれこれ歓談させていただいた。

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12月23日、2代目坊守松永ケイ殿の祥月命日に行われる「窓月忌」の当日に、ブラジルの

早川正雄殿からメールがとどいた。原文のままここに御紹介させていただく。地球の反対側に居られても、故郷の菩提寺を心に留めていて下さる事に感謝申し上げる。

多度志永教寺と正雄

永教寺というお寺は自分にとって生涯忘れられないお寺だろう。先ず富山県から多度志に永教寺の初代住職が移られたのが1900年頃と聞く(サイチから)

其の住職と前後して早川伝兵衛、鍛冶兼次郎木村金太郎さん等が移住してこられたらしい当時移民地であった北海道え多くの内地人が

移住されたことを聞くとき、うなずけることである、かっては初代住職が開墾のかたわら布教に努められた土地は現在の明瀬憲正氏の土地(栄子さん)と聞いている

2代目住職の諦恵氏と松次郎父とは大のお酒友達だった、いつもお寺に行っていた、義信兄もそれを認めていた、そして義信兄の代になった 何かとお世話をさせていただくうちに一時総代も勤めさせていただいたと聞く。

 1930年頃お寺に日曜学校と言うのがあった。現大元住職のお母さんが先生でお経をならったものだ。帰りに仏様のお供えのお下がりをいただくのがうれしくて通ったことだった。あの時習った正信ゲは今も忘れていない。戦後復員してお寺に仏教青年会ができた、会長におされた。なにも出来なかったけれど櫓を組んで盆踊りをやった。今年2009年の盆踊りは盛大だったと永教寺のサイトに記事がでていた。

去年(2008)8月孫の幸枝と幸男が訪日した時永教寺におまいりしてくれた。阿弥陀さまの前で早川家とのつながりやいろんなことを話されたそうだ。幸枝が目に涙して聞いていたと聞き自分も思わず目頭があつくなった。

いまその場で大元住職の法話を聞き大勢の婦人会の方々ともお話させていただいた。お参りの後役員会があると聞き別室で20名余りの檀家の方々に挨拶をさせていただいた

桶谷利夫さんをはじめ有志の方たちである。

 長生きしてもう一度永教寺の阿弥陀様にお会いしたい 手を合わせたいと思う。

早川正雄 ブラジルにて。